横浜・寿町の歴史と現在

Kotobukicho History and Present

山本薫子(社会学者/首都大学東京 准教授)

1.横浜・寿町の形成過程と特徴

横浜・寿町地区は、「日本の三大寄せ場」のひとつに数えられ、【*1】1950年代半ば以降、日雇い労働者の街として知られてきた地域である。JR根岸線石川町駅から徒歩5分の場所に位置し、徒歩圏内に横スタジアム、横浜中華街、元町なども立地している。寿町を行政区画としてとらえると中区寿町2〜4丁目、松影町2〜4丁目に扇町の一部を加えた範囲となり、面積は約0.06㎢である。この狭い範囲に121軒( 約8,600室)の簡易宿泊所が立ち並び、約6,500人が暮らしている(2010年現在)。

他の「寄せ場」、東京・山谷、大阪・釜ヶ崎と比較したとき、寿町の特徴のひとつは戦後に形成された比較的新しい「寄せ場」であることが挙げられる。現在の寿町を含む周辺各町は1874(明治7)年の埋め立てによって生まれた地域であり、戦前までは材木卸業者、港湾労働者とその家族が暮らす、下町情緒の残る一画だったと言われている。【*2】第二次大戦後、寿町を含む関外、関内一帯は米軍に接収された。その間、横浜港が援助物資、軍貨食糧の集積地となったため、全国から労働者が港周辺に集まり沖仲士等として就労した。いっぽう、そうした労働者とその家族が利用可能な住居、宿泊所は圧倒的に不足しており、野毛地区でのスラム形成や大岡川での水上ホテル経営などもみられた。

1956年に寿町地区と周辺地域の接収は解除されたが、もともとの住民はすでに他所で新たな生活を始めており、戻ってくる者はほとんどいなかった。同時期に行われた野毛スラムのクリアランス、野毛の職業安定所の寿町への移転(1957年)などを契機として、多数の日雇い労働者が寿町に移動し、また次々と簡易宿泊所が建設されていった。

また、第二の特徴としては、港湾労働が中心であったため、(建設土木産業従事者が主である)山谷、釜ヶ崎と比較すると定住傾向が高く、結果として家族形成が多くみられた。1970年代には人口7,000人のうち1,000人が子どもだったという報告もある。「寄せ場」でありながら女性、子供が多く住む地域という特徴を1970年代までの寿町は有しており、そのため現在も町内では保育所(2施設)と学童保育所が運営されている。今日では通所する子どものほとんどは町外に住んでいるが、もともとは町内の子どもたちを対象とした施設であった。

そして、第三の特徴としては1980年代に外国人労働者が急増したことが挙げられる。1980年代後半、バブル経済のなかで建設産業などでは人手不足が深刻となり、また景気のよい日本への出稼ぎを目指してアジア諸国から多くの男性労働者が来日した。寿町では1980年代後半からフィリピン人男性が、その後、韓国人(主に済州島出身者)が増加した。韓国人の場合は、夫婦や家族で生活する者もおり、人数が増えるに従って韓国料理店やレンタルビデオ店なども経営を始めた。そうした外国人のなかには労働災害、賃金未払いなどの労働問題に直面する者もおり、そうした労働者を支援するために1987年に寿町内で「寿・外国人出稼ぎ労働者と連帯する会(カラバオの会)」が結成された。当時、外国人労働者支援団体は全国的にも数少なく、この後「カラバオの会」は全国的な外国人労働者支援の中心的な役割を担うようになっていく。バブル経済崩壊後、町内の外国人人口は減少し、現在はわずかな人数が残るのみであるが、いっぽうで町内の保育・学童施設には外国人の子どもたちも多数通所しており、今日でも寿町には外国人たちの行き来が日常的に見られる。

2.横浜・寿町の現状と課題

1950年代後半の形成以降、1960年代の港湾労働合理化(機械化)によって寿町の労働者の大半は土木建設の現場で就労するようになり、徐々に高齢化も進行していった。最盛期には8,000人以上を数えた人口も、オイルショック(1973年)やその後の日雇い労働市場の縮小などの影響を受け、1980年代には5,000人台にまで落ち込んだ。

今日の寿町を特徴づける状況としては、生活保護受給者の増加が挙げられる。町内の高齢化人口増加にともない、バブル経済崩壊後、一貫して生活保護は増加傾向にある。2000年代に入ってからは微増微減を繰り返す状態が続いていたが、リーマンショック、派遣切り等の影響からか2009年には前年から500人近く増加している。

1970年代以降、横浜市では現住の宿泊所を居所と見なして生活保護を受給する「居宅保護」の制度が認められており、現在、人口約6,500人のほぼ8割に住宅扶助が支給されている。寿町の生活保護受給者の多くは高齢者であり、身体などに障がいを有している人々の割合も高い。寿町での生活保護受給者の増加にともなって、それまで日雇い労働者を対象にしていた簡易宿泊所が1990年代後半から次々に建て替えを始め、エレベーターなどバリ アフリーの設備を整えるようになった。このように新築、改築され、設備も新しい簡易宿泊所が増えることで部屋数全体も急増したが、それに比例して人口が増加しておらず、結果として2000室以上の部屋が空室となっている。その多くは、改築されず設備の古い簡易宿泊所に集中している。こうした空き室をホステルに改装し、観光客やビジネスマンを呼び込もうという新たなビジネスが、横浜ホステルビレッジ【*3】や一部の簡易宿泊所オーナーたちによって2000年代半ばごろから進められている。

こうした状況の一方、町内および周辺地域には一定数のホームレスが野宿生活を送っている。こうしたホームレスのなかにはいまも日雇い労働に従事している者もいるが、今日では寿町の青空労働市場は以前とは比較にならないほど規模が縮小しており、職業安定所でも求人はほとんどない。もともとは「日雇い労働者」の街であった寿町だが、今日では日雇い労働で生計を立て、簡易宿泊所で暮らすという生活スタイルそのものが非常に困難な場となっている。また、町内には2004年にホームレス自立支援センター「はまかぜ」がオープンし、寿町だけでなく横浜におけるホームレスの就労自立のための場となっている。また、生活保護受給者が増加する一方で、生活は保障されていても友人がいない、社会とのつながりを感じられない、趣味や生きがいがない、といった問題も生まれている。地域団体のなかにはそうした人たちの「生きがいづくり」「楽しみづくり」を目指して活動を行っているところも多い。

3.横浜・寿町における地域活動

現在、寿町内では30以上の地域団体が活動している。その内容は、ホームレス支援(炊き出し、パトロール、居場所づくりなど)、福祉作業所、医療支援、キリスト教会(伝道所)、外国人支援、高齢者支援、アルコール依存症者のデイケア施設など多様である。ある意味で、日本社会において「社会問題」と言われる事柄の大半を寿町のなかで見ることが可能だ、ともいえる。

1970年代に寿町でも自治会が設立され、現在にいたるまで活動を行っている。また、複数の地域団体、関係者が協力して毎年、夏祭り【*4】、寿越冬闘争【*5】などが実施されている。特に、夏祭り期間中に開催されるフリーコンサートには町外からも多くの音楽ファンが訪れることで知られている。

現在にいたるまで寿町の簡易宿泊所経営者の大半は在日コリアンであり、また日雇い労働者の中にも在日コリアンをはじめ、日本社会のなかで被差別の立場に置かれてきた人々は少なくない。また、出身地域、出身家庭の貧困によりじゅうぶんに教育を受ける機会が得られなかった人たちも多い。1970年代には、そうした人々を支援する寿学校、寿識字学校などの社会教育活動も(市職員やボランティアを中心として)行われてきた。

1960年代に「荒くれ者の多い街」という意味で「西部の街」と呼ばれていた寿町だが、1980年代以降は医療・福祉、外国人支援、人権など、さまざまな社会問題の一端が現れている場としても知られるようになり、それぞれの問題に関心を持った学生や市民がボランティア活動を目的として訪れる場ともなった。現在も、特に近隣の横浜市民のなかには「寿町には怖いところ、近寄らないほうがいい」というイメージを抱いている人々もいるが、近年はそうしたイメージも徐々に変わりつつある。同時に、地域全体が高齢化し、街の雰囲気もかつてに比べれば穏やかになってきている。

特に、2000年代に入ってからNPO「さなぎ達」【*6】など新たな活動団体も生まれている。従来からの地域団体と比較すると、新規団体はマスコミ、インターネットなど種々のメディア媒体の活用に長けており、若者層を中心としてさらに多くの人々が寿町に関心を持ち、街を訪れるきっかけともなっている。

そして、そうした一連の新規参入団体のなかに「コトブキ案内所」を運営する寿オルタナティブ・ネットワークも位置づけられる。

1:なお、狭義の「寄せ場」とは日雇い労働者が日々の仕事を探す青空労働市場を指すが、日雇い労働者が居住する簡易宿泊所(ドヤ)がその周辺に立ち並んでいる場合も多く、その際はその地域全体を指して「寄せ場」と呼ぶ。

2:ことぶき共同診療所寿町資料室発行の「ことぶき簡易宿泊所街  地図集」(2003年)に1945年5月(横浜大空襲)以前の寿町内地図が含まれているが、各種商店に加えて、小学校、公設市場、消防署などが確認できる。

3:空き室を抱えている寿町地区内の簡易宿泊所の一部をリノベーションし、旅行者などを対象にホステル経営を行っている。寿町地区のホステル事業の先駆的存在。事業は2005年から開始し、現在は岡部友彦氏が代表者を務めるコトラボ合同会社が運営を行っている。

4:毎年、8月のお盆期間に寿町総合労働福祉会館の広場を中心に開催される。フリーコンサートには町外から多くの観客が集まるが、それ以外(盆踊り、カラオケ大会、各地域団体による出店、子ども神輿、歌謡ショー、慰霊祭など)は町内住民および各団体を中心に行われている。

5:行政機関が閉庁する年末年始期間にホームレスなど住居、生活が不安定な人たちに対する支援を行う活動。1973年度が初回、以降毎年行われている。近年は、炊き出しや夜間パトロール、演芸・カラオケ大会などが行われ、最終日に生活保護集団申請なども実施されている。

6:寿町地区周辺で1980年代から活動を続けている市民団体「木曜パトロール」メンバーが中心となって設立した。2000年発足、2001年N P O登録。「ポーラのクリニック」、「さなぎの食堂」、「さなぎの家」などでの活動を通じて寿地区での「医・衣・食・職・住」の改善、自立支援を目指す。

San'ya in Tokyo, Kamagasaki in Osaka, and Kotobukicho in Yokohama are commonly called as the three biggest Daylaborers' lodgings towns (a town where flophouses are gathering) in Japan.
San'ya and Kamagasaki are placed at the exit of the old Way and were formed in the Edo Era. On the other hand, Kotobukicho is a new Doya town formed after 1955. Five minute walking distance from Ishikawacho Station, JR Negishi line, ten minutes from Kannai Station, there are China Town and Motomachi shopping towns close by.
Originally the area was flourished by lodgings for day laborers, but as the needs of day laborers has decreases, the population of the area declined. Recently, the town is gradually changing to accept elderly and social welfare recipients.